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もっちんcum

亀山社中の坂本龍馬が右腰にぶら下げているのはホイッスルなのかどうか、検証してみました。その他いろいろ、K-pop,韓流ドラマ、韓国映画など韓国エンターテイメントなニュースをお伝えします。

05/13

Mon

2024

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08/23

Sat

2014

坂本龍馬が右腰にぶら下げていた物はいったい何?

  
 
 坂本龍馬から木戸孝允へ宛てた手紙には
「かの高杉(晋作)より贈られピストールを以て打ち払い」と
寺田屋事件を振り返っていますが、


この銃は慶応元年(1865)の暮れごろ、
高杉晋作から上海土産として長崎で贈られたものと言われています。

坂本龍馬が亀山社中を組織したのが、慶応元年(1865)閏5月ですから、
亀山社中時代に受け取ったということになります。

亀山社中が発足してから、
約半年後にスミス&ウェッソンⅡ型アーミー (32口径)という拳銃を
手に入れていたこということです。

ブーツをはき香水もふりかけて
長崎の街を闊歩したという坂本龍馬が次に求めたのは、
どうやら懐中時計だったようです。

ホイッスルではないかとささやかれるようになった
例の亀山社中時代の坂本龍馬が腰にするものは、
懐中時計の竜頭(リューズ)をまわす、ねじ回しのキーではないかということです。

竜頭(リューズ)は懐中時計のぜんまいを巻いたり、
時計の針を動かすためのつまみのことですが、
坂本龍馬が携帯していたのは、穴に差し込んで回す式の懐中時計だったようです。

これは、坂本龍馬研究家で東京竜馬会顧問でもある小美濃清明氏が唱えておられる説です。

「アメリカ・エルジン社製のチャンピオンという銀製の懐中時計」
であることまで突き止めておられ、
亀山社中時代の坂本龍馬が右腰にぶら下げるいるものは、
ホイッスルではなく、時計のネジを巻く竜頭(リューズ)のキーであるというのです。

では、実際にキー付きの懐中時計を身に着けるとどういう風に見えるのでしょうか。
亀山社中の坂本龍馬が写真を撮影したのが、
1867年1月初旬といわれています。

小美濃清明氏が主張する銀製の懐中時計を製造したアメリカ・エルジン社が、
創業したのは1864年8月ということがわかっています。

小美濃清明氏の説はかなり信憑性のある説であることは間違いないでしょう。

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08/20

Wed

2014

古くから船乗りの間で使われてきたボースン笛

ところが、エスカルゴ型でもなくポリス笛でもないホイッスルは実は、存在したのです。

古くから船乗りの間で使われてきたボースン笛(ホイッスルあるいはコール)が

そのホイッスルです。

 
Boatswains Call-Navy History
によると

英国船でボースンズ笛が使われたのは、

西暦1248年の十字軍の時代にまでさかのぼることができるということです。


昔は、英国船で階級を表す名誉のバッジとして身に着けられていたと同時に

おそらく命令を伝えるために使われていたであろうことが想像されます。


1485
年頃には英国大提督の象徴として

1562年まで官職を引き継いだ者が身につけていました。


その後、英国艦隊全体で命令を伝える手段として使われるようになります。

そして、1671年からはボースンズ笛して知られるようになりました。


今ではボースンズ笛と鎖は、

航海士長、操舵係下士官、甲板長航海士の階級を表す印であり、

海軍軍事教練団では、操舵係下士官と甲板長航海士が身に着けています。


このようにボースンズ笛は、古くから船乗りの間で使われていたのです。

亀山社中の航海士が身に着けていたとすれば、このタイプのホイッスルではないでしょうか。


亀山社中時代の坂本龍馬は薩長同盟など国事のために奔走しており、

船は亀山社中の同志たちにまかせ、

航海士として船に乗ることはほとんどありませんでした。


坂本龍馬が船長として活躍したのは、

長州藩が幕府と戦った1866年6月の第二次幕長戦争(第二次長州征伐)において、

長州藩の軍艦ユニオン号で、下関海戦に参加幕府軍を相手に戦い、

長州の勝利に大きく貢献した時ぐらいでしょうか。


その坂本龍馬がホイッスルを普段から身に着けていたのでしょうか。


亀山社中の大将であった坂本龍馬が

ホイッスルを右腰に、もしぶら下げていたのであれば、

それは、ファッションか亀山社中の一員である証の為でしかないでしょう。


また、実用性を求めるのであれば、ボースンズ笛は

首にかけて置かなければならないのです。

08/19

Tue

2014

亀山社中・坂本龍馬の右腰に見えるものがホイッスルだったら?

亀山社中・坂本龍馬の右腰に見えるものがホイッスルだとすると、

エスカルゴ(かたつむり)型のように見えます。

Whistleshop.co.uk)


だが、坂本龍馬の写真が撮られた亀山社中時代の1867年には、

まだエスカルゴ型のホイッスルは発明されていないのです。


このモデルのホイッスルは、現存するアクメホイッスル社の前身である

J.ハドソン&カンパニーの創業者ジョセフ・ハドソンが

「アクメサンダラー」と呼ばれるサンダラーエスカルゴ型 のホイッスルを

発明した1884年まで待たねばなりません。


写真は小さくて影や着物との境目がはっきりしないので、

違うタイプのホイッスルだったと仮定すると、

Stevens& Sons社のホイッスルであれば年代からすると可能性は残ります。


「マーティン・ギルキリスト氏の警察笛の歴史」によると

今日私たちが知っている『ポリスホイッスル(警察笛)』は

1860年代から作られている型で、


もともとは誰がデザインしたのかは、わかっていませんが、

もしかすると、少なくとも1840年代からホイッスルを作っている

Stevens& Sons社の可能性があると言っています。


 

J.Stevens&Sons 1860sWhistleshop.co.uk)   

08/18

Mon

2014

亀山社中とホイッスル

イギリスでは、テムズ海洋警察が18世紀の終わり、つまり

1700年代の終わりからホイッスルが使われていました。


このホイッスルの祖先と云えるものは骨や木で作られ、

スピリチュアル、実用的、エンターテイメントの目的のために

何千年もの間使用されてきました。


最も特徴的なホイッスルは、軍艦に乗って甲板長が

命令を出したり、上官に敬礼する時に使用する笛です。


それは古代ギリシャや古代ローマでガレー船(オールを漕いで動く船)の奴隷が

オールを漕ぐペースを保つために使われた笛から発展したものなのです。


中世での笛は攻撃の際、
英国軍の石弓隊をデッキに招集する為に十字軍で使われました。


私たちがホイッスルと聞いて思い浮かべるのは

エスカルゴ(かたつむり)型のPea whistleと呼ばれる、

笛のなかにPea(エンドウ豆)の実のようなコルクが入ったホイッスルでしょう。

 


Acme Whistles

このタイプは、1912年のあのタイタニックの悲劇の中で

航海士が多くの乗客を誘導した

伝説のアクメホイッスル社製「アクメサンダラ―」と呼ばれるホイッスルです。


 

 



08/17

Sun

2014

坂本龍馬が右腰にぶら下げているのはホイッスルか?

亀山社中時代、長崎の上野彦馬撮影局(写真館)で撮られた有名な写真があります。


上野彦馬のもとに写真技術を学びに来ていた

土佐藩士の井上俊介が撮ったとされている写真です。



坂本龍馬が上野彦馬撮影局(写真館)で土佐藩士の井上俊介に出会い、

「おお~、おまんも土佐かえ。よーし、おまんに撮ってもらうき、

上野しぇんしぇい、かんまんじゃろう」

と言ったとか言わなかったとか。


この時立ち姿で台にもたれかかった写真、

椅子に座って撮られた写真、亀山社中の同志との集合写真のうち、

立ち姿の写真の右腰にぶら下げているのは「ホイッスル」だ

という指摘が坂本龍馬研究家の間でされるようになりました。


坂本龍馬大好き芸能人の武田鉄矢氏もそのひとりです。


確かにラグビーやサッカーの試合に審判が吹いているホイッスルに

似ていなくもありません。


果たして坂本龍馬は、ホイッスルを腰にぶら下げているのでしょうか。

腰にぶら下げてホイッスルを吹くときはどうするのでしょうか。

飾りでぶら下げているだけでしょうか。


ホイッスルであれば亀山社中が操船するおり、甲板で使われたはずで、

亀山社中でリーダー格の者が身に着けていた者がいるはずです。


例えば、ワイル・ウェフ号 の副船長であった池内蔵太、佐柳高次や

ユニオン号の乗り組み士官だった菅野官兵衛などです。

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