韓流 K-pop 韓国映画
08/23
Sat
2014
坂本龍馬から木戸孝允へ宛てた手紙には
「かの高杉(晋作)より贈られピストールを以て打ち払い」と
寺田屋事件を振り返っていますが、
08/20
Wed
2014
ところが、エスカルゴ型でもなくポリス笛でもないホイッスルは実は、存在したのです。
古くから船乗りの間で使われてきたボースン笛(ホイッスルあるいはコール)が
そのホイッスルです。
Boatswains Call-Navy Historyによると
英国船でボースンズ笛が使われたのは、
西暦1248年の十字軍の時代にまでさかのぼることができるということです。
昔は、英国船で階級を表す名誉のバッジとして身に着けられていたと同時に
おそらく命令を伝えるために使われていたであろうことが想像されます。
1485年頃には英国大提督の象徴として 、
1562年まで官職を引き継いだ者が身につけていました。
その後、英国艦隊全体で命令を伝える手段として使われるようになります。
そして、1671年からはボースンズ笛して知られるようになりました。
今ではボースンズ笛と鎖は、
航海士長、操舵係下士官、甲板長航海士の階級を表す印であり、
海軍軍事教練団では、操舵係下士官と甲板長航海士が身に着けています。
このようにボースンズ笛は、古くから船乗りの間で使われていたのです。
亀山社中の航海士が身に着けていたとすれば、このタイプのホイッスルではないでしょうか。
亀山社中時代の坂本龍馬は薩長同盟など国事のために奔走しており、
船は亀山社中の同志たちにまかせ、
航海士として船に乗ることはほとんどありませんでした。
坂本龍馬が船長として活躍したのは、
長州藩が幕府と戦った1866年6月の第二次幕長戦争(第二次長州征伐)において、
長州藩の軍艦ユニオン号で、下関海戦に参加し幕府軍を相手に戦い、
長州の勝利に大きく貢献した時ぐらいでしょうか。
その坂本龍馬がホイッスルを普段から身に着けていたのでしょうか。
亀山社中の大将であった坂本龍馬が
ホイッスルを右腰に、もしぶら下げていたのであれば、
それは、ファッションか亀山社中の一員である証の為でしかないでしょう。
また、実用性を求めるのであれば、ボースンズ笛は
08/19
Tue
2014
亀山社中・坂本龍馬の右腰に見えるものがホイッスルだとすると、
(Whistleshop.co.uk)
だが、坂本龍馬の写真が撮られた亀山社中時代の1867年には、
まだエスカルゴ型のホイッスルは発明されていないのです。
このモデルのホイッスルは、現存するアクメホイッスル社の前身である
J.ハドソン&カンパニーの創業者ジョセフ・ハドソンが
「アクメサンダラー」と呼ばれるサンダラーエスカルゴ型 のホイッスルを
発明した1884年まで待たねばなりません。
写真は小さくて影や着物との境目がはっきりしないので、
違うタイプのホイッスルだったと仮定すると、
Stevens& Sons社のホイッスルであれば年代からすると可能性は残ります。
「マーティン・ギルキリスト氏の警察笛の歴史」によると
今日私たちが知っている『ポリスホイッスル(警察笛)』は
1860年代から作られている型で、
もともとは誰がデザインしたのかは、わかっていませんが、
もしかすると、少なくとも1840年代からホイッスルを作っている
Stevens& Sons社の可能性があると言っています。
J.Stevens&Sons 1860s(Whistleshop.co.uk)
08/18
Mon
2014
イギリスでは、テムズ海洋警察が18世紀の終わり、つまり
1700年代の終わりからホイッスルが使われていました。
このホイッスルの祖先と云えるものは骨や木で作られ、
スピリチュアル、実用的、エンターテイメントの目的のために
何千年もの間使用されてきました。
最も特徴的なホイッスルは、軍艦に乗って甲板長が
命令を出したり、上官に敬礼する時に使用する笛です。
それは古代ギリシャや古代ローマでガレー船(オールを漕いで動く船)の奴隷が
オールを漕ぐペースを保つために使われた笛から発展したものなのです。
中世での笛は攻撃の際、
英国軍の石弓隊をデッキに招集する為に十字軍で使われました。
私たちがホイッスルと聞いて思い浮かべるのは
エスカルゴ(かたつむり)型のPea whistleと呼ばれる、
笛のなかにPea(エンドウ豆)の実のようなコルクが入ったホイッスルでしょう。
このタイプは、1912年のあのタイタニックの悲劇の中で
航海士が多くの乗客を誘導した
伝説のアクメホイッスル社製「アクメサンダラ―」と呼ばれるホイッスルです。
08/17
Sun
2014
亀山社中時代、長崎の上野彦馬撮影局(写真館)で撮られた有名な写真があります。
上野彦馬のもとに写真技術を学びに来ていた
土佐藩士の井上俊介が撮ったとされている写真です。
坂本龍馬が上野彦馬撮影局(写真館)で土佐藩士の井上俊介に出会い、
「おお~、おまんも土佐かえ。よーし、おまんに撮ってもらうき、
上野しぇんしぇい、かんまんじゃろう」
と言ったとか言わなかったとか。
この時立ち姿で台にもたれかかった写真、
椅子に座って撮られた写真、亀山社中の同志との集合写真のうち、
立ち姿の写真の右腰にぶら下げているのは「ホイッスル」だ
という指摘が坂本龍馬研究家の間でされるようになりました。
坂本龍馬大好き芸能人の武田鉄矢氏もそのひとりです。
確かにラグビーやサッカーの試合に審判が吹いているホイッスルに
似ていなくもありません。
果たして坂本龍馬は、ホイッスルを腰にぶら下げているのでしょうか。
腰にぶら下げてホイッスルを吹くときはどうするのでしょうか。
飾りでぶら下げているだけでしょうか。
ホイッスルであれば亀山社中が操船するおり、甲板で使われたはずで、
亀山社中でリーダー格の者が身に着けていた者がいるはずです。
例えば、ワイル・ウェフ号 の副船長であった池内蔵太、佐柳高次や
ユニオン号の乗り組み士官だった菅野官兵衛などです。