
坂本龍馬から木戸孝允へ宛てた手紙には
「かの高杉(晋作)より贈られピストールを以て打ち払い」と
寺田屋事件を振り返っていますが、
この銃は慶応元年(1865)の暮れごろ、
高杉晋作から上海土産として長崎で贈られたものと言われています。
坂本龍馬が亀山社中を組織したのが、慶応元年(1865)閏5月ですから、
亀山社中時代に受け取ったということになります。
亀山社中が発足してから、
約半年後にスミス
&ウェッソンⅡ型アーミー
(32口径
)という拳銃を
手に入れていたこということです。
ブーツをはき香水もふりかけて
長崎の街を闊歩したという坂本龍馬が次に求めたのは、
どうやら懐中時計だったようです。
ホイッスルではないかとささやかれるようになった
例の
亀山社中時代の坂本龍馬が腰にするものは、
懐中時計の竜頭(リューズ)をまわす、ねじ回しのキーではないかということです。
竜頭(リューズ)は
懐中時計のぜんまいを巻いたり、
時計の針を動かすためのつまみのことですが、
坂本龍馬が携帯していたのは、穴に差し込んで回す式の懐中時計だったようです。
これは、坂本龍馬研究家で東京竜馬会顧問でもある小美濃清明氏が唱えておられる説です。
「アメリカ・エルジン社製のチャンピオンという銀製の懐中時計」
であることまで突き止めておられ、
亀山社中時代の坂本龍馬が右腰にぶら下げるいるものは、
ホイッスルではなく、時計のネジを巻く竜頭(リューズ)のキーであるというのです。
では、実際にキー付きの懐中時計を身に着けるとどういう風に見えるのでしょうか。
亀山社中の坂本龍馬が写真を撮影したのが、
1867年1月初旬といわれています。
小美濃清明氏が主張する銀製の懐中時計を製造したアメリカ・エルジン社が、
創業したのは1864年8月ということがわかっています。
小美濃清明氏の説はかなり信憑性のある説であることは間違いないでしょう。
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